『Indonesia Menangis』 by : Sue3

「スマトラ沖大地震って、いつだったか覚えてる?」

と聞いて、正確に答えられる人はどれだけいるだろう?去年の終わりくらい?って
答えられたらかなり優秀。たいていがいつだっけ?って答えてしまうのではないだろうか?
正解は2004年12月26日

 物と情報にあふれ、基本的に自分の周りはいつも平和、って思い込める日本に住んでいると海外の、しかも経済発展国ではないところで起きた災害は、あっと言う間に新しい刺激に押され、記憶の片隅に追いやられてしまう。

 しかし、あの時の津波の被害は世界中でまだ生々しい傷跡を残していて、震源に近いインドネシアアチェ州には、世界各国からたくさんの義援金が送られているにもかかわらず、道路は整備されずに仮設住宅も建っていない地域もアチェ州にはいくつか存在している。運良く、仮設住宅に入居できても、心の傷は癒えていない。突然いなくなってしまった家族は、帰ってこないのだから。

 そして、笑い転げていた家も、微笑み抱きしめてくれた親も失った子供達は、今も悲しみと苦しみ、傷ついた心をもてあましながら、泣くことすらもこらえている。
 そんな子供達がいるって事、忘れちゃいけないと思わない?ボランティアとか寄付とかって、気をかけることから始まる。そこで、立ち上がった人々がBUNさんにも声をかけてチャリティーイベントが開催され、ラジオの公開収録が行われた。

 

イベント自体はスマトラ大津波を象徴する曲「Indnesia Menangis」(インドネシアが泣いている)を中心に、その楽曲を歌うインドネシアの歌姫Sherinaさんが来日、BUNさんとともに1日も早い復興を祈り、日本人に協力を願うものだった。

 

 

 

 

 

 


 Sherinaさんは若干15歳にしてインドネシアの国民的大スター。6歳で子役デビュー後、10歳の時には天才少女歌手としてイギリスのWEST LIFEというグループとデュエットした。この時点での1ステージのギャランティーが7500万ルピア(当時のレートで約100万円)。子供の日の感想をメディアから求められて「ストリート・チルドレンの増加は可哀想。幾人かの子供なら、私が学費などを助けてあげられるけれども」と、真剣に語ったそうだ。最近はジャッキー・チェンさんとも共演をしたらしい。収録時、インタビューを求められたおばさんが、「こんなに近くでSherinaさんを見られるなんて大感激です」と大喜びで語っていたが、日本でいうなら少女時代の美空ひばりさんがきっと、こんな感じだったのではないかと思われる。

 収録会場に来ていたのは大半がインドネシア関係者で、BUNさんの演奏を目当てに行ったのは私一人だった(笑)。そんなわけで、私以外のオーディエンスはBUNさんを「誰やコイツ?」みたいな顔で見ていて、「一見するとカリスマヘアデザイナーのようなBUNさん」と意味不明な紹介をしたから、なおさらにSherinaさんの隣に座る正体不明男になっていた。が、しかーし、1曲目の「スマトラレクイエム」が始まったとたん、空気が変わった。この曲はBUNさんがスマトラ沖大地震のニュースを見た時にやりきれなくなって作った曲で、切なく悲しい旋律で始まり途中で転調してめまぐるしい展開をするのであるが、誰やコイツオーラをバシバシだしていたちょっと硬くてこわそうなオジサマは、始めの何音かで ‘えっ??’てな表情になり、しばらくしたら口をぽっか〜んと開け、アップテンポになった時には中腰になって手元を見ようと必死になっていた。

 自分の事ではないのに、この瞬間“ほ〜っほっほっほ、どーだ参ったか!”と鼻高々な気分になった私はかな〜り単純だと思う。

 悲しみをたっぷりと含んだレクイエムが終わると会場は少し‘しゅん’としてしまったけれど、演奏後の拍手に初めてBUNさんの音を聴いた感動と驚きがしっかり混ざっていた。


 進行をしていたタケ丸山さん(Indnesia Menangisの日本語詞を担当。アジアン・パーソナリティーにしてミュージシャン)が、BUNさんの「2002年BALI島たった独りのピースウォーク」の話やKOH-TAOの?Peace Flag」の話、そしてBALIのミュージシャンとの音友関係などを巧みに引き出したので、おしゃべりが苦手なはずのBUNさんが、と〜ってもよく話してくれた。会場にいたのはインドネシア人とインドネシアを経験している日本人ばかりで、11月のBALIで1週間もかけて約200Km歩くことの過酷さがどれほどかをわかっていたようだ。スタジオのあちこちから「ほぉ〜」とため息がもれ、私の隣に座っていたインドネシアの男性は日本語で「すっごねー!」と言っていた。

 そして、同様に観客が感動のため息をついたのが、BUNさんの「音は目に見えない分ハートに届きます。演奏者が戦争の士気を高めるために演奏すればそうなってしまうし、演奏者がリスナーにリラックスして気持ちよくなって欲しい、楽しくなって欲しいと思って演奏すればそうなると思います。僕は、後者の演奏家でありたい」と言った時だった。Sherinaちゃんも尊敬のこもったまなざしでBUNさんを見つめ、「そのとおりだと思います。音楽は言語と違う手段で人の心に訴えられる。私も、人の心をやさしくできる音楽家でありたい」と語った。

 その後、BUNさんはIndian Fluteを手に「Peace Walk」を演奏したのだが、いつになく魂の入り込んだ演奏で、百戦錬磨のラジオ局員さんのブログに“これは僕の魂を揺り動かすに充分な演奏で、音楽でこんなに気持ちよくなったのは、超久々のことだった”とか、“やや伏し目がちにインディアンフルートをブロウする姿は非常に格好よかったのだ”とまで書かれるほどの心を動かす演奏だった。

 

 


 この演奏を機に、会場が一つにまとまりだしたような気がしたし、同時にアーティストとしてのSherinaさんの魂も揺り動かしたように思う。それまでに彼女は、とても上手に日本語で「Indnesia Menangis」や「花」をそつなく歌ったり、インドネシア語で「Andai Aku Besar Nanti」という持ち歌を振りつきで歌ったりしていたのだが、BUNさんの演奏に触発された後に歌った「Lihatlah Lebih Dekat」というちょっとマイナーコードのピアノの弾き語りは、本人が一番好きな曲ということもあるのかもしれないけれど、言葉を超えた思いが伝わる作品となった。

 

最後はSherinaさんはピアノを弾きながら歌い、タケ丸山さんはギター、スタジオ内全員参加での「Indnesia Menangis」となった。BUNさんはIndian Fluteや細々したパーカッションでコネタを利かせながら楽しそうにセッションしていた。

 地味だけど、何か心温まる時間で、私は膝の具合が少々故障気味にもかかわらず、自分自身もインドネシアの子供達のために何かできないかしらん?と考えながら鼻歌まじりに一駅歩いていた。音楽には言葉を超えて訴えるもの、確かにあるんだよね。
 実はこのレポはこんな形で書くつもりはまったく無かった。もう少し感覚的な文章にする予定だった。こんな風に、曲名まで書くような形にしたのは、ON AIR予定だったこのプログラムそのものがON AIRされなくなってしまったからである。あえて、なぜそうなったのかは書かないけれど、とても良い構成、素晴らしい演奏だっただけに残念でならない。そして、何よりもアチェのことをもう一度考え直し、リスナー一人一人が自分には何ができるか?を考え直す機会がひとつ、失われたことが残念でならない。

  

◆スマトラ沖大地震関連TV番組
・12月26日 月 BS1 午後7時10分〜10時
    「BS特集 ツナミとの戦い」
      7:10 アジア各国・復興への模索
      8:10 アジアは災害情報にどう取り組むか
      9:10 津波後の和平 インドネシア・アチェ

◆文中のラジオ局員のブログ

http://blog.radionikkei.jp/shimizu/index.php?ID=45

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